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第七十一回 経世済民 その二:千座の置き戸(ちくらのおきど)【続・祭祀の道】編 :::自立再生論 –:國體護持塾(こくたいごじじゅく)より

るとかくし ことばでよぶは あきなひの しくみのやぶれ あらましごとぞ (「る」と隠し言葉(隠語)で呼ぶは商ひ(経済)の仕組み(制度)の破れ(破綻)有らまし事(予測事)ぞ) 「経国済民」とか、「経世済民」といふのは、国を治め民の苦しみを救ふといふ意味であり、本来は「政治」の意味である。 国家が独立してゐるといふ意味で、「国家主権」といふ言葉を使ふとすれば、その国家主権は、政治主権と経済主権とに分けられる。もちろん、国家内においては、民度や文化といふ要素が最も重要であるが、対外的な意味では、国家の三要素である領土、国民及び統治を維持するために、政治的自立(独立)と経済的自立(独立)としての、政治主権と経済主権なのである。 世界では、子どもが6秒に1人の割合で、貧困と栄養失調等のために死んでゐる。その一方で、0.14%の超・富裕層が世界の金融資産の81.3%を所有し、その超富裕層中の62人の大富豪が世界の下位36億人分の資産を保有してゐる。これは、単なる格差社会といふ評価ではなく、明らかに「人類全体に対する犯罪」である。こんな恐ろしい社会の世界が長続きするはずはない。これは、世界的な規模のもので、形式的な政治主権が認められるとしても、経済主権は全く認められてゐないことになるのである。 この現況を作り出したのが、現在の新自由主義による金融資本主義である。 資本主義は、「通貨制度」と「商品経済」とが不可分一体となつて成り立つてをり、レーニンが、資本主義の元凶である通貨を廃止した1919年テーゼを翌年に廃止したことは、ソ連は、共産主義と称する変形的な資本主義の国家となつたことになり、早晩崩壊することは明らかであつた。 そして、ソ連をはじめとする東欧の共産主義圏が崩壊し、中共も一国二制度として資本主義を取り入れたことにより、資本主義の一人勝ちとなつて、資本主義はさらなるフロンティアとして、地域的には東欧、中共、アフリカ、南アメリカを確保し、商品の品目としても、実体経済における商品とサービス以外に、金融商品として多数のものを開発した。 商品経済は、①市場経済、②労働の商品化、③自由貿易、④分業体制で成り立つてゐる。従つて、実体経済における商品とサービスといふ実体商品以外の多種大量の金融商品が登場すると、その取引に必要な膨大な通貨を必然的に必要とすることになる。 ここに金融資本主義が席巻する原因があつた。 そもそも、貨幣の本質は、財貨の価値的変形物であるから、実在する全ての実体商品の価格合計額と同額の通貨量しか認められないはずである。 ところが、その認識もないまま、これまでの国家は、国王の統治権(sovereign)には、租税徴収権<財政>と通貨発行権<金融>が認められ、この租税徴収権と通貨発行権を前提として国家運営がなされてきた。 租税徴収権は、国家の「財政政策」にとつて必須のものであり、通貨発行権は国家の「金融政策」にとつて必須のものである。 国家が国民から借金をしたとしても、その借金は、租税を徴収して、それを財源として返済する。しかし、その借金が多くなると、通貨を大量に発行して、それで返済するから、何も困らない。そのやうなことをすれば、通貨に対する信頼が損はれるので、歯止めが必要となる。 通貨は、転々流通するのもので、「金は天下の回り物」といふやうに隠語では「る(流)」と呼ばれる。決して留まるものではなく、「留」の「る」ではない。あるいは、通貨を丸(マル、〇)と隠語で呼び、マルのマを取つて「ル」と呼ぶ。その通貨に信用がなくなれば、インフレが起こり、留まることは紙屑同然となる。 そうすると、ソ連崩壊の直後には、ルーブルの信用は失墜し、モスクワで、ルーブルよりもアメリカ製の紙巻きタバコ「マールボロ」が通貨の代用<商品貨幣>とされたことがあつた。 いづれにせよ、通貨発行権を独占するといふことは、通貨発行による通貨発行益を独占することであり、これが濫用されると通貨の信用がなくなる。通貨とは、法貨であり、強制的に通用させることである。通貨として法定すれば、通貨発行を濫用してもだれも文句は言へない。通貨発行益(シニョレッジ、seigniorage)を打ち出の小槌<通貨発行権>から繰り出せる。これは錬金術なのである。 ところが、その国家の通貨発行権を濫用しませんから、と約束して私人によつて奪はれてきたのが、これまでの歴史である。 政府直営であるかのやうに誤解させる「中央銀行」といふ詐称をする、FRB、日銀などは、すべて国家からは独立した私的な金融機関である。 その金融機関に、国家の通貨発行権は奪はれてしまつた。国家が通貨発行権を奪はれるといふことは、国家は独自の金融政策ができないといふことである。 そして、この中央銀行なるものは、当初は、約束通り、自らが保有する実体商品の価格合計(中央銀行の保有する金銀の価値総和)以上の通貨を発行しなかつた。それ以上の通貨を発行しないといふことが通貨に対する信用を維持し、その証として、同等の金銀と交換できるといふ兌換紙幣が発行された。 これが金本位制、銀本位制である。 ところが、中央銀行といふ金融業者は、さらなる錬金術を編み出した。それが、現在の管理通貨制度である。すなはち、金銀本位制の廃止である。 いはゆる昭和46年(1971年)のニクソン・ショックといふのは、これまで金本位制であつたFRBが、金とドルの交換停止を行ひ、しかも、これまでの固定相場制から変動相場制へと移行したのである。これは、金本位制を廃止して管理通貨制度とし、変動相場制といふ方法で、「通貨」それ自体を金融商品化したことである。 これは世界的な詐欺行為なのに、誰もこれを批判しなかつたし、暴動が起こらなかつた。そして、通貨自体のみならず、様々な金融商品を編み出して、それに対応する通貨を湯水の如く発行し、これによる膨大な通貨発行益を独占してきたのである。これは、まさしく犯罪である。 このやうに、欧米の金融連合体は、数々の策謀によつて通貨発行権を私物化してきた。 南北戦争は、南軍も北軍もイギリスの銀行から戦費を調達し、イギリスの銀行は究極のリスクヘッジ(risk hedge)を行つて、南北戦争終了後における恒久的な中央銀行の地位を狙つた。しかし、1862年、リンカーンは、アメリカ政府(財務省)の政府紙幣(憲法通貨、法貨、Constitutioal Money)であるグリーンバックスドル(Greenbacks dollar)を発行し、欧州銀行複合体の支配からの脱却しようとした。そして、これにより1865年にリンカーンは暗殺された。 また、ケネディ大統領(John Fitzgerald Kennedy)の暗殺も同じである。ケネディは、アメリカに大量に眠る銀の埋蔵量に着目し、FRBの金本位制から合衆国独自の銀本位制へと移行することが可能であるとして、1963年に、銀本位制により合衆国発行の法貨を発行する大統領行政命令(executive order 11110)を発令し、FRBに奪はれた合衆国の通貨発行権を取り戻さうとしたが、同年の11月22日にダラスで暗殺されたのである。 先ほども述べたが、商品経済は、①市場経済、②労働の商品化、③自由貿易、④分業体制で成り立つてゐる。 新自由主義は、完全なる市場を前提とするが、売り手と買ひ手とが同じ情報を持つことは絶対にあり得ず、完全な自由市場なるものは幻想である。また、労働は商品化し、労働市場とか、人材といふ言葉で、労働売買といふ雇用契約による人身売買が行はれる。その結果、競争原理により労働商品の値下げなされ、貧困が加速される。 労働力の再生産がなされない限界を下回る賃金であつても、まかり通ることになる。 最低賃金を決めたところで、その金額では労働の再生産ができることは不可能である。生活保護に頼つた方が、必死で働くよりも楽なのは、労働が商品であり、生活保護は生存権といふ犯しがたい権利としてゐる資本主義憲法のためである。 その傾向が自由貿易によつてさらに加速される。安い賃金で働かせることによつて利益の極大化を図るのが企業原理であり、国際化によつてさらに国内労働者の賃金は低下する。 イギリスでは、穀物の輸入に高い関税を課す穀物条例が一部の者だけを利するだけで国家全体の利益にならないとのリカードの意見に支配されて、穀物条例を廃止して穀物の輸入自由化に踏み切つた(1846+660)。その結果、それまで100%近い小麦の自給率が10%程度に落ち込み、二度の大戦に食料難となり食料調達に苦しんだ。そこで、昭和22年(1947+660)に『農地法』を成立させて食料自給率の向上を推し進めたのである。このやうに、国家の本能的直感によつて大きく政策転換をした結果、イギリスだけでなく、西ドイツ、フランス、イタリア、アメリカ、カナダは、昭和57年(1982+660)ころまでに食料自給率を100%を超えるまでに回復し、完全にリカードの論理から脱却した。リカードの論理は、帰納的に否定された。 フロンティアが消滅すれば、実体経済は停滞するので、残るは、バーチャル経済(虚業)の拡大である。金融商品を大量取引することによる利益の追求である。それが金融資本主義である。実体経済から完全に遊離した賭博経済である。カジノ法案のから騒ぎどころの問題ではない。国を挙げての賭博経済の奨励である。 限りない経済成長は、実体経済のフロンティアが消滅したことにより、商品購買力が限界点に達したために実体商品の消費不況が生まれた。それに代へて、名目上の経済成長を牽引するのは金融商品の取引を活性化させることしかない。円安と株高に誘導しようとするのは、海外からの資金流入を受けて金融商品の取引を活性化させるためである。 そして、格差社会においては、デフレは経済的弱者にとつて救ひなのであるが、デフレを悪と決めつけ、インフレに誘導する。インフレで利益を上げるのは、経済的強者のみだからである。借入金は経済的弱者ではできない。借金ができるのは甲斐性のうちである。インフレになれば、返済額の実質負担は減る。しかし、経済的弱者は、僅かな資金を預金しても利息は付かず、インフレによつて生活を維持する経済的負担は増加して苦しくなる。まさに、インフレ政策は、弱者切り捨ての政策なのに、だれもこれを批判しない。 自由貿易への盲信は、宗教に似てゐる。リカード教である。一体、保護主義のどこが誤りかについて、誰も検証しようとしない。 自由貿易が国を豊かにするための手段だとするのは、明らかに誤りである。手段が目的化してゐる。 国際社会をタンカーに譬へると、ワンワールドのやうにタンカーの原油貯蔵部分が隔壁仕切り構造になつてゐなければ、座礁したときに、全ての原油が流出してしまふ。しかし、世界各国がタンカーの隔壁仕切り構造のやうに、経済的にそれぞれ自立して居れば、全部の原油が流出することはなく、世界全体としての安定は保たれるのである。 これからは、異常気象、天変地変などにより、必ず世界的な食糧危機が訪れる。 そのためには、食料自給、食糧安保が必要となり、自由貿易を推進して食糧自給率をこれ以上低下させることは、国家存続の危険水域に近づくことになる。 昭和47年にソ連が凶作となつた。アメリカは、急遽、余剰穀物を戦略兵器としてソ連へ緊急輸出したが、翌48年4月、今度はアメリカが異常気象による凶作となり、トウモロコシ、大豆がアメリカでは絶対的に不足した。その結果、食肉物価の高騰を招き、同年6月27日、アメリカは、大豆の我が国向けの輸出を停止した。この事件は丁度、第一次オイルショックの時期と重なる。輸出禁止が長期化すれば、我が国の豆腐や醤油や納豆などは高騰し、最後には消えてなくなる運命にあつた。しかし、同年9月には、幸ひにも輸出停止が解除となり難を逃れたのである。この時、アメリカがソ連に大量の穀物を緊急輸出したときに關與したのが穀物メジャーであり、その後、その地位を確立して行つたのである。 このやうな不測の事態は、今後は頻繁に起こりうる。 従つて、国家を防衛するためには、自由貿易による国際的分業体制から脱退し、国内においても、分業体制から少しづつ逃れることしかない。 それが、自立再生論であり、これまでの極大化による経済成長から、極小化による経済成長へと転換することにある。これによつて内需拡大が進み、経済は安定的に成長するのである。これは、GDPでは計測できない成長なのである。 最終的な到達点は、大家族制による家産制度の構築によつて、家族単位で食料とエネルギーを自給することである。 その方向へと転換できれば、本能、家族、祭祀、國體の意味が自づと理解できることになる。 個人主義から家族主義と家産制度へと移行し、國體の本義が実践できることになる。 自給自足が実現すれば、通貨は不要となり、全ての家族が自営者となるから失業もなく、①市場経済、②労働の商品化、③自由貿易、④分業体制は消滅する。 つまり、資本主義の消滅に至る道筋が、自立再生論なのである。 南出喜久治(平成29年3月15日記す)

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